別のバケツ(結構枯らしてしまった)方からも穂が少し出てきました。生命力に感謝。
「日本の原風景」で考えたこと。
私が田んぼと山(つまり里山)を「原風景」と感じるのは、小学校の校歌の歌詞と、図工の風景画制作に求められる気がする。
まず、大学生時代を除いて、自分の実家に住んでいれば、その周辺の景色が自分の故郷、原点だと考えるのは自然のことだと思う。
ただ、小学校の校歌って結構歌う機会が多かった気がするんですね。特によく歌われる1番目の歌詞には、「山々」や「耕土」(=田んぼ)を讃える内容のもの。その歌詞を子どもの6年間で歌えば歌うほど、何の疑問もなく「原風景」と捉えても不思議ではないと思う。
(意外と「校歌」の歌詞って土地によって違うんですかね?話題の大社高校の校歌を知って驚きました。「杵築の社」が歌詞に入ってるってかっこよくて羨ましい)
しかも、その小学校が田んぼに囲まれているんですよね。図工で風景画を描くのは山と田んぼくらいしかないように思われて。青い空、緑の水田、山々。「実際に見ながら描く」という体験だから、より記憶に残りやすいのだろうか。
まあ、「原風景」=「昔から変わらない景色」ではなくて、私が持っている「原風景」というイメージに、「先人たちが耕してきた労力と時間の歴史」が含まれてなかった、という話です。奥行きがなかったんですね。
美しい田園風景の見えないところでは先人たちと今生きている人間の汗と苦労と知恵があるんだよ、というのを忘れてはいけないな〜、と思いました。
小学校6年間同じ校歌!
そうか!!
その6年でもボクだと4回校歌が変わってるし
校歌を覚えようという気もなかった
高校の校歌を聞いているととりあえず有名な山、川など地理的概要から入ることが多く
大雑把にどんな土地なのか説明しているよね
ボクに原風景がないのは同じところにずっといたことがなく、校歌を真面目に歌わなかったからかも!
あえて言えば今住んでいるところが原風景?(あまりそんな感じはしないけど)
望んだとしても得られるものではない原風景
持っているというのは素敵なことだねぇ